仕立て服を理解してる者は繊細すぎる生地は選ばない。
通はクラシックな生地を選ぶ。成金は値段が高い生地、流行の生地を好む。
私にとって生地とはそんなものでない。まあ、他人が何を選ぼうと勝手だがね。– アントニオ・パニコ from O’MAST
アントニオ・パニコの生い立ち
アントニオ・パニコは5人兄弟の長男として、1941年1月にカサルヌオヴォで生まれました。
彼の父親はアントニオ・パニコが11歳のとき、勉強をする代わりに何か手に職をつけるよう彼に聞いたといいます。
音楽、オペラ、絵画。祖父も父も芸術を愛する人で、それを私が受け継いだ。
– アントニオ・パニコ from O’MAST
もともとナポリに息づくサルトリアの世界に魅了されていた彼は、仕立て職人『サルト』として生きていくことを選びました。
しかし今では伝説的なサルトとなったアントニオ・パニコも、最初はサルトとして修行することを家族に反対されました。その時代には、仕立て職人を目指すのは貧しい家庭の子供たちが主だったからです。
サルトの仕事は苦しく裕福になれる見込みも少なく、さらには生涯をかけなければマエストロになることができないと知っていたアントニオ・パニコの母はその人生を心配し、彼に別の仕事を選んで欲しいと願ったといいます。
アントニオ・パニコ本人もサルトの世界の難しさには気づいていたにも関わらずやはり仕立て服の世界に惹きつけられていた彼は、仕事を変える気はありませんでした。
サルトリアでは絶えず子供たちが競争していた。皆精一杯努力した。学びたいと強く望んでいたし、いつか自分の店を開きたい。これが当時の子供たち皆の目標だった。
– アントニオ・パニコ from O’MAST
彼は最初にGiuseppe Ruotolo ジュゼッペ・ルオトーロという、38歳でブラジルへ移住したサルトの元で修行を始めました。
それから1954年7月に彼はサルトリア・チャルディの師匠でもあるAngelo Brasi アンジェロ・ブラージのところへと送られました。
その後はカサルヌオヴォだけではなく、ナポリ中のサルトリアで職人としての経験を積みました。
最終的に彼が腰を落ち着けたのは、Roberto Combattente ロベルト・コンバッテンテのところでした。ちなみにコンコスタンティーノのフェリチェ・ビゾーネもこの師匠の下で仕立てを学んでいます。
ロベルト・コンバッテンテが私の師匠だ。皆のためにたくさんのことをしてくれたが、皆に忘れられてしまった。
– アントニオ・パニコ from O’MAST
ロベルト・コンバッテンテの元で修行をしたアントニオ・パニコはナポリ式のフリーハンドのカッティングさえ習得し、17歳になったときには「サルト・フィニート」として全ての工程をこなすことのできる職人となりました。
1964年2月、彼はナポリのキアイア地区にあるアメデオ広場に最初のサルトリアを開店しました。
1970年になると彼はロンドンハウスのルビナッチから、カッター兼マネージャーとしてスカウトされました。その後ヘッドカッターとしてアンナ・マトッツォと同時期に活躍したアントニオ・パニコは、1992年までこの仕事を続けました。
このときには、彼は技術的にも驚くべきレベルに達しており、彼はその技術で自分自身の作品を作り上げることを決心したのです。
1992年3月、彼は今のサルトリアを同じキアイア地区のカルドゥッチ通りに開店しました。これは彼の最初のサルトリアがあったアメデオ広場や、友人であるレナート・チャルディのサルトリアからもほど近い場所です。
私はいつも、このように(まるで自宅のようにアトリエを飾ること)することが顧客がリラックスするために一番良いと感じている。彼らは家から遠く離れたこの場所で、家にいるように感じる必要があるのだから。
– アントニオ・パニコ
また1996年9月には続いてローマの目抜き通りであるコンドッティ通りにもアトリエを開いています。
私のアトリエで君たちがマフィアに会うことはないだろう。私が採寸をするとき、私は顧客に触れなければならない。私はあのマフィアのような連中には触れないからね。
– アントニオ・パニコ from THE BESPOKE DUDE
この時点から彼の名声は世界に轟くようになりました。ナポリやローマのアトリエには、アントニオ・パニコが仕立てる服を着る喜びを知った顧客がヨーロッパをはじめ世界中から訪れるようになりました。
これは25年前に仕立てたスーツだ。だけどよく似合うだろう。これを着ているときには、私は何かを着ていることを忘れてしまう。これが本物のテーラリングだよ。
– アントニオ・パニコ from PERMANENT STYLE
最近ではアントニオ・パニコは彼の息子であるルイジと娘のパオラ(仕立てはしていません)、その他12人の職人たちと共に仕事をしています。
アントニオ・パニコの人柄
アントニオ・パニコは非常に気難しい職人だと思われていますが、本当はユーモアに富んで優しさに溢れた人だといいます。
取材をすると「お願いだから、これは書かないでくれ」と茶化したり、写真を撮ろうとすると「どうか、やめてくれ」と照れくさそうに笑うのが印象的です。
とはいえアントニオ・パニコは彼自身の哲学を持っており、それに反する注文はシンプルに断るといいます。
例えば彼は生まれてこのかたセンターベントのジャケットを仕立てたことがないと言われており、逆に1970年代に初めてサイドベンツをナポリのジャケットに採用したといわれています。
もし(哲学に反することを)聞かれたら、ただ断るだけのことだ。
– アントニオ・パニコ from PERMANENT STYLE
また彼はいかにもナポリらしい考え方をしています。
それは、人は人で自分は自分ということ。自分が好きなものでも人は好きではないかもしれないし、逆もありえる。好きにすればいいということ。
ですからアントニオ・パニコが好まない繊細な生地を持ち込んでも、彼は断らないかもしれません。しかしやはり気に入った生地、良いと思う生地のスーツを丁寧に作りたいと思うのは間違いないでしょう。
ちなみにアントニオ・パニコはしっかりとした打ち込みの良い生地を好みます。
SUPER表記でいえばSUPER90’sや100’sでありながら、原毛の質の良さと目付けの良さで仕立て栄えのする生地こそが、クラシックな生地だと考えているようです。
また彼の仕立ては独特ですが、それについて解明しようとして尋ねるのは野暮なことかもしれません。
裾まで伸ばしたナポリ式のダーツやギャザーの寄った袖付けが必要ならそうするよ。だがそれは全て顧客のニーズに合わせるものだ。もし彼が海外の非公式なミーティングでそんな袖付けのスーツを着ていたら、ドレスアップ遊びをしている田舎者に見えるかもしれないからね。
– アントニオ・パニコ from THE BESPOKE DUDES
アントニオ・パニコは他のナポリのサルトリアでもしているベーシックな技術を驚くべきほど高いレベルでこなしているだけで、特別なテクニックを用いているというわけではないからです。
アントニオ・パニコにスーツを仕立ててもらうなら
アントニオ・パニコにスーツを仕立ててもらうつもりなら、何よりも彼のテイストとスタイルに敬意を払うのが一番大切なことです。
彼は仕立てに来る人の態度やオーダーの仕方を見れば、その人が単にそのネームに惹かれて服を仕立てに来ているミーハーな人物なのか、本当に仕立て服を愛しているのかが分かるといいます。
またオーダーしに行くときには、できるだけ良い服を着ていき、わずかでもイタリア語を習得していくよう心がけてください。